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2015年2月

2015年2月15日 (日)

取手・南相馬・双葉浜通りの集いに招かれて

20150214・・・写真はお許しを得たので掲載

震える京都から、米原の豪雪地帯を徐行運転をした新幹線のぞみ号
(今朝は張り込んでのぞみです!)
名古屋には14分遅れ、東京にはなんと6分も取り戻して8分遅れでした!
富士山・・・素晴らしかった!


秋葉原からつくばエキスプレス(EXと言うのね)で、守谷→戸頭。
お迎えに来て頂いて、老人福祉センターさくら荘での
「取手・南相馬・双葉浜通りの集い」に招かれて、
スリーA脳活性化ゲームで楽しんで頂きました。
さくら荘で開催されるので、桜草と読みました。
桜の季節には、本当に素晴らしいお庭だと聞きました。

1時間15分も時間を頂きました。
男性方が多い集いでしたが、真剣に指ゲーム、リズム、お手玉回し、
ドジョウさんと、大笑いの連続でした。

頭文字ゲームでは、「あ」のつく言葉では、老翁「アイラブユー」って
私に向かって矢が飛んできました「ズッキン」。
5歳の男の子も入ってくれて、全ゲーム楽しそうにやっていました。
「あ」のつく言葉集めでは、嫌がるかなと思いましたが、
順番が来ると大きな声で「あき」
二周目は「あにき」~~なんと渋い言葉でしょう!
大人たちは大拍手で讃えました。

最後はジャンケンタスキとりゲーム。
いちばんご高齢の老翁が優勝されました。

ダジャレが次々と自然に出てくる素敵な老翁!リボンは115本、
全部で1150万円といつの間にか価値が出て、
「何に使いますか?」「あなたに全部差し上げます!!」って(^^)
またまた~~でも語彙の少ない私は、お返事が返せなくて駄目なリーダー!

医療系に勤めていたので、貴女の話は納得できるものばかりでした!
リボンが有るだけで、じゃんけんにも熱が入ります!
とっても楽しかったです!
カラオケ教室をしていて、色んなものを取り入れるのですが、
このスリーAも使えますねぇ~~

なかなか目途の立たない原発事故周辺の帰還作戦。
老翁はしびれを切らして、今年の4月、南相馬市に戻り
「みんな早く帰ってこいよ~」と盛り上げ役をしたいと言われていました。
杉林、畜農などが全部駄目になって山には入れないし、
農業も目途は立たないと~でも故郷は南相馬!

また、子どもたちはこちらに居るので、そろそろ決心をしたい、
でも南相馬の友人が、こっちで頑張ろう!とか、
全然違った土地・新天地での生活も考えるが~
揺れ動く心で、落ち着かないようです。

3・11には、取手市民会館で大きな鎮魂の集いをされるそうです。
詳細は後ほど掲載します、お近くの方、お越しくだされば幸いです。

Photo

じゃんけんぽん!あいこでしょ!

Photo_2

さぁ~勝負!最初はグー!

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まけちゃった~でこの笑顔!

Photo_5

集合写真はおすまし、1たす1は~

2015年2月 5日 (木)

在宅での引戻し記録

これは2007年5月19日 NPO法人認知症予防ネット第三回通常総会の時に発表した話に 少し手を加えたものです。

随時修正・追加し、その時々のエピソードは 別ページに掲載する計画です。完成までに時間がかかりますが、色々な 母と私 夫 孫との関わりも書き綴って 母の“認知症からの引き戻し記録”とします。

私がスリーA方式予防法を学んで、在宅で4年以上引き戻しを継続し、ここまで良くなった ひとつの事実の記録を、お読みいただけましたら幸いです。

                 2007.6.10        福井恵子

はじめに

4年半前(2002年9月)に 40年来 育て続けた桜草 をスッポリ忘れ 険しく無表情になった母に、昔の笑顔を取り戻し、今は 記憶力は 随分低下しましたが、笑顔で穏やかに自宅で暮している 94歳になる母(大正2年5月生まれ)の話です。

以前、私の家族は 親・子・孫 三世代で住んでいました。
1階では 親夫婦が 食事をし、2階では 私たち夫婦と 子ども二人の四人が食事をする という一つ屋根の下の二世帯住宅でした。 

母も私も 土いじりが好きで、一年中 庭に花を咲かせて共通の愉しみとしていました。

家族の変化

家族の形が変化したのは 14年前です。息子たちが 次々と 成人して家を離れ 父がなくなり、家族は 半分に減って 淋しくなりました。

現在は 1階に母が一人、2階に私たち夫婦が 暮らしています。

家族の人数が減っても、母と私は 庭の花の手入れなどは一緒にし、毎日 顔をあわせていましたので 言葉掛けをしない日は ありませんでした。

一人になった母は 常に「寂しくない 一人が気楽」 と言って 調理をし、テレビを相手に 食事をしていました。

そんな中、90歳を前にして、親孝行のつもりで、私が煮炊きしたものを 母の食卓へ 運ぶようにしました。母も喜び、こちらも安心 と安定するはずでした。 これが 母を おかしくするなんて 夢にも思わなかったのです。

しかし それは 母の役割を 奪うことになり、また 私が忙しくしていて ゆっくりした 一緒の時間を過ごせなかったのも 母の混乱の もとだったように 今では感じます。

桜草事件≪2002年≫

そして 4年半前の2002年9月、母が40年間 絶やさずに 育て続けていた「桜草」を 前の日には 「桜草の鉢がこんなに増え、大きく育ったでしょう」と 自慢していたのに、次の日には 「沢山あるこの葉っぱはなに?」と聞いてきたのです。

「桜草」という名前であること、「花のようす」  「母が育てたこと」を話しても 母は「私はそんな花は知らない!」と 言い張ったのです。

「これが認知症なのか?」 と胸騒ぎが収まらない毎日でした。

「認知症の前ぶれはなかったのか?」「味付けがおかしいこともあった」「何でも面倒がる」「駅での待ち合わせも 約束の場所に居なかった」ことなど 思い出されました。

代表の高林から「認知症は予防できるよ!」と 以前より 何度も 聞かされ 資料も頂いていましたが、私は、無関心でした。

頂いた資料には 「認知症の予防」と「引き戻し」が出来ること 「予防教室のリーダー研修会」があるのを 知りました。

母の困った様子

母の そのころの困ったことは…

  • 寂しくなったり 不安になると 銀行の通帳を広げてみているのですが、その通帳や 財布をしまいなくしていました ほぼ毎日、毎日何回も・・・繰り返しました。慌てふためいた母を見て 私もまた そのことに 振り回されていました。

  • 険しい表情で 無表情 口をへの字にし 無口 笑顔は 勿論ありません。

  • 同じところに 同じ格好で 何時間も座っている

  • テレビは付けているが、ぼぅ~~としていて 観ていない。

  • 煮物が煮えていない、味付けが 可笑しい などでした。

スリーA

≪明るく 頭を使って あきらめない
      のAという頭文字が 三つで スリーA≫

2002年のスリーA予防教室指導者研修会は 母の混乱が始まって 三ヵ月後の12月初め の3日間、静岡県でありました。
混乱していた母を家に残しての 外泊は 大変なことでしたが 東京から妹が来てくれたお陰で 参加できました。

研修会では、
「認知症について」 「予防教室での関わり方」、「寂しい心を癒すには 優しさのシャワーを浴びせること」 などを 教えていただきました。

関わり方を 工夫することで、本人は 落ち着きを取り戻して、穏やかな暮しが出来ること、混乱している認知症の方は 毎日が非日常 なので それに合わせた接し方をする ことが大切、「誰かから必要とされている、自分は大切にされている、そう思わせる、そのかかわり方が一番大切だ」とスリーAの増田先生から教わり、深く共感しました。 

在宅でできること

まず、在宅で 私が心がけたことは、研修会で 教えていただいた「認知症は病気であること」 「寂しい病」「不安がとても強い」「恐怖感がある」ことを、頭に叩き込み、母と接する時は、思いっきりの笑顔と テンションを最大にあげて 母に 向かい、洋服も 明るい色を選ぶようにしました。
母を認め、褒める、感謝する 母の話すことが、不可解なことでも 逆らわずに うなずく などでした。
「母ののぞむ 優しさって何だろう」 とも考えました。

母へのかかわりで注意したこと

母のペースに合わせて「ゆっくり」と

母は母なりに 考え考えながら 自分のペースでゆっくりと 行動しているので、ひとつひとつに時間がかかります。
それを 時間がないから と急がせたり 手伝ったほうが早いからと 手出しをすると 混乱しますので 監視されていると 思わせないように 黙って見ない振りをして そぅっと見守ります。
何か質問してきたときには、物静かに 答えるように心がけています。

何度も聞いてくる質問には
    「初めて聞いた振り」をして答える。


その答えが 記憶 理解でき、納得したら その質問をしなくなります。
何度も聞くのは、聞いたことを忘れるから また同じことを聞くのです。

何度も何度も それこそ何十遍も聞く質問は、
お歳暮を贈ったかどうか、とか
インフルエンザ注射は いつ行くのか、
ひ孫は いつ遊びに来るのかなど、
母には 最も大切な 「今」 気になることなのです。

お歳暮の送り状を 目につく所に置く、
カレンダーに印をする など工夫をしますが、
私自身の生活もあり 「面倒さ」が案外難しいことのひとつです。


しまい忘れた財布や 通帳は 
「一緒に探し 見つけ役は 母へ誘導する」

財布は 目につかないようにと 誰でも 大切にしまうのが 当たり前なのですが、母はいつもの置き場所を忘れたり、違う場所に変えるので、ややこしくなるのです。

私は、おおよそ隠し場所は 「あそこかあそこ」 と判っているので
「一緒に探そう、大事なものは何処に置くのかな?」などと言いながら、あちこち わざと ゆっくり時間を掛けます。 今、探し物をしていること や 母自身が探し出して「あっ 見つけた!」と 記憶させるために ゆっくりと探します。

私が探し当てても 「お母さん、いつもこの辺りに置くのでは?」と 母が見つけるように 工夫をします。

通帳や 財布だけではなく 思い出せない話なども ヒントを出しながら 話します。


知恵や感情は残っているので 
「教えてもらう」 「相談する」 「プライドを傷つけない」ようにする

料理の段取りは忘れて 複雑な料理は 出来にくいのですが、カレーや 高野豆腐の箱には 作り方が書いてあり、それを拡大鏡で見ながら 作ってくれますので 材料を揃えておきます。

見ていると 読みながら それを忘れていくので これも 時間がかかります。

母の得意料理は 少なくなりましたが、「お母さんの美味しい切干大根を煮て!」と 母の役割を引き出します。

勿論、食べ終わったら 忘れず 「美味しかった!また作ってね!」と最大限 感謝を伝えます。   

お歳暮や、お礼の品物などは、必ず母に相談して決めます。

プライドを傷つけない ことは 案外難しく、忘れたことを 笑わない 馬鹿にしたりしない 母が 出来なくなったことの話は しないようにします。
作って貰った料理で 不味いことも ありますが、プライドを傷つけないように 「美味しかったよ」 とほめます。

不安を取り除くために、一緒の 時間を過ごす。

研修会で聞いた話ですが、施設に入所していた方が トイレットペーパーを 一度に全部使ってこまっていた、そこの最高責任者が、その方の隣に座ることを 毎日 同じ時刻に、10~20分、続けていく内に、その問題行動は なくなったという、話がありました。

私も 母の寂しさを 和らげるのに、
夕食後の、2~3時間を 母の部屋で過ごすことにしました。夕食後の後片付けも 洗濯ものを畳むのも放って 母の元へ行きます。勿体無い時間だなぁ と何度も思いましたが・・・この時間は、「母への薬の時間」と割り切りました!

最初の頃は、何にもしないで、母にエールを送る積りで 母の傍に ただ座って居ました。混乱していた時には、不安一杯だったのでしょう、毎日 眠れないと言いましたので、母が寝付くまで 「続きのテレビが終るまで観ているね」などと 母の部屋で過ごしました。最近は よく寝ているようです。

母にとって 寂しくなるような 嫌な悪い話はしない。

嫌な話 例えば、母の知っている方が 亡くなった話や 家族の病気・手術 などは できる限り 母の耳に入れないようにします。

聞いてもすぐ忘れるから 良いだろうと思いますが、不安に思う話や 嫌な話は 不思議なことに 一度に記憶してしまいます! そして その話は 何時までたっても 記憶に留まるので 大騒ぎの原因になります 

その混乱を避けるために 家族中で 「嘘も方便」 口裏を合わせるのです。

奇跡

あかるく 優しく ゆっくり 穏やかに、母との時間を大切にし、母への関わり方を変え、夢中で過して三ヵ月半経った頃 、険しく無表情だった母の顔に 昔の笑顔が戻りました。

これを「100日めの奇跡」と 高林は表現してくれました。

記憶  心配り  外出  料理ができるようになり、徐々に徐々に、日常生活が戻ってきました。
煮物がおいしく炊けるように、"おだし"や調味料を使うようになったことに驚き、少しずつレパートリーが戻ってきて感動しました。 
 
母からの昔話は 何度でも、初めて聴いたふりをして、上手に相槌をうつように努力しています。が 何度も話す内に、私の顔色から「あ、何度も聞いているな」と見て取れるらしく、「何度も話していると思うけれど・・・」と 断って話し出すことも あります。

冗談

 「認知症になって、とても悪くなったら 娘のことも わからなくなってしまうらしいね」 と言うと、「あなたは何方さんでしたっけ?」と 母は真面目な顔をして 私の顔をのぞきこみ 冗談を言うのです。また、私は自分の失敗談を 大げさに ずっこけながら話すと ケラケラと笑ってくれます。

今もなお・・・

現在、「母への薬(黙って寄り添い)の時間」は 1,2時間と短くなりましたが 毎日必ず 現在も続けています。新聞を読んだり、私の好きな番組に 変えてもらうことも 出来るようになりました。 

混乱している時には とても嫌がった入浴でしたが、 今は、すんなりはいるようになりました。着替えが面倒になり、着たきりすずめに なりますので、風呂に入ったら すばやく脱いだもの一式を代えます。

この頃は 母が風呂を済ませ 私が入るときに「おやすみなさい」と 母の部屋を後にしています。

朝は朝ドラが 終る頃に 珈琲を沸かして ゴミの日、私の外出 などの話で 一日が始まります。

外出日の工夫

私の外出日には、出かける前20分は 一緒にお茶を飲む時間を とります。出かける私に 母は、「何かしておくこと無いかしら?」 と必ず 言いますので、夕食の おひたしや 簡単な煮物 など 材料の準備は常にしておき 一品を作ってもらいます。
今日は 冷凍小芋を 薄味で煮て欲しいと 頼んできました。楽しみです。

そして 出先からは 会場に到着したコール。 今、講演すんだコール。 近くの駅から帰るコール の三回、必ず電話をし 母の無事確認と、夕食前には 必ず帰宅することを伝えます。

夕暮れの早い冬は、5時過ぎの帰宅でも、母にはとっても遅い感じがするらしく ご機嫌が良くありませんので、帰宅直前にも 買い物で遅くなっていて ごめんね と電話をします。

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2007.6.2 一泊旅行

私は友人と有馬温泉に行く事になりました。母が認知症になってから 始めての「旅」です! 計画は春ごろからして居ますが、母には勿論内緒!そして当日も「今日は有馬温泉に行って 宴会をして 午前様になるかもしれない・・・先に寝ていてね」と出かけました。

母の昼食には昨晩、煮込んだ「カレーライス」。夜は 夫がデパ地下弁当を届けてくれる手筈・・・≪デパ地下弁当は、綺麗で量も適量・・・お土産が大好きな母は、とても喜びます≫

友人とのおしゃべりで すっかり母のことも忘れ・・・一度も電話をしないで、翌朝になりました!携帯電話があるので 何かあれば 夫から連絡があるだろうと・・・今回、母からきっぱりと心を離してみました。

午前7時過ぎに 夫に「私は 母が寝ている間に 出かけた ことにして欲しい」と 電話で頼みました。

そして 午後になって 今回母へのはじめての電話「お母さん・・・ごめんね 寝ている内に出かけてしまって・・・夕方 夕食には間に合うように帰るから 待っていてね・・・美味しいものを買ってあるからねぇ~~」母は「は~い 大丈夫よ 気をつけて帰ってくるのよ~~待っていますからね」と、機嫌よく電話に出てくれた!

二日目は友人たちと観劇をし、その話題で盛り上がりました。4年半ぶりの「命の洗濯」・・・帰宅したら 母との楽しい時間、夫への感謝の好きな料理を食べてもらって・・・また、母と楽しく向き合えるだろう!と爽やかな気持ちになりました。

二日間で感じたことは、母の時間の感覚が 随分衰えたようで、昨日と今日、娘が留守にしたことが判らないようだ・・・。

私は友人と有馬温泉に行く事になりました。計画は早くからして居ますが、母には勿論内緒!   

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メモをとる

最近で嬉しかったことは、外出から帰った私に、メモを見ながら、「明日 小学校に朝8時50分に集合して下さい、と町内会の人が言ってきた」と 伝言をしてくれたことです。
現在、母の記憶力は、信じられないくらい、ひくく落ちているので、これにはビックリでした。

覚えていてくれた!

ある日曜日には 私は 夜遅くまで 外出しました。いつもなら、昨日の私の行動など忘れているのですが、翌朝、「昨日は、あなたは 何処かへ出かけていたよね!」と 話しかけてくれまして とても嬉しかったです。

「忘れてしまうこと」を考えながら 接し暮していますので 「覚えていてくれた!」ことの喜びは とても大きいです。

「また 覚えてもらう・・・記憶してもらう」 そのためのエネルギーは ほとんど 無駄になるので 予定など 早くから 言わないようにしています。

今夜は 泊り客がありますが、母はとても気を遣いますので、まだ 来ることを言っていません。 
スリーA精神で関わるように実行してから4年。まだ 母の状態は 良くなっています。何処まで続く脳の改善、と毎日が楽しみです。

家族の協力

ここまで 母が落ち着いたことは 母と私のふたりきりの時間が持てたこと、また 私独りの力ではなく 「遠くに居る兄や妹からは 母へ 週に二度づつ 電話をかけてくれる協力」 「息子たち家族の協力」、 特に夫には 家事の疎かになった部分への手助けもあり とても感謝しています。

また、知人、友人達の 励ましや 介護を終えた方に 愚痴を聞いてもらうことも 大きな力です。

遊びに来た 母の大好きな8歳の曾孫には、大きいバーバは 「忘れる病気なので、同じことを聞いても 怒らないで 優しく 同じことを答えてね」と 言い聞かせましたら、とても優しく接していて おぼつかない足取りの時など、母の杖となり 支えてくれている 孫の姿はほほえましいです。
長男の入院手術などは 長期出張と母には言い 元気になってから 本当のことを話しました。

昨年辺りからは、私は好きなことも 出来るゆとりを もてるようになりました。

スリーAに出会わなかったら

認知症の病気そのものは治りませんので 油断すると悪い方に戻ります。スリーAの予防法を学ばなかったら、いまごろはどうなって いるのだろうか?と思う日々です。

今でも まだ介護保険を申請しないで、母は、毎日ほんとうに 明るく 穏やか に暮しています。

スリーAの成果は 予防教室だけではなく、在宅でも 関わり方を変えることで これだけ 良くなることを 報告させて頂きました。

最初の百日の辛抱、上手にコツを掴んで、応用していただきたいと願います。

ご参考になれば幸いです。 

第3回日本認知症予防学会

2013年9月27日~29日
会場、新潟県 朱鷺メッセ コンベンションセンター

20130929syouroku.docをダウンロード

第3回日本認知症予防学会、一般の部での発表での
当日発表パワーポイントの原稿です。

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寄り添う関わり優しさのシャワーで 幸せな在宅ケア
スリーA認知症予防研修会を受講して

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母が大好きだった桜草を2002年 9月にすっぽり忘れてしまい、
これが認知症なのか~と私は動転しました。
家庭を守るしか能の無かった私は、
穏やかで笑いの絶えなかった母の姿に戻したい一心でした。
 

認知症予防、
A:あかるく A:あたまを使って A:あきらめない、スリーA方式
があるのを知り、母を引き戻せるのなら、
笑顔で穏やかな生活が暮らせるならと、
2002年12月スリーA認知症予防研修会を受講しました。

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♥優しさのシャワーのかかわり方を教えて頂き実行、
 3カ月で母に元の笑顔が戻りました!!

♥介護保険申請の必要なく9年間

♥家庭で楽しく穏やかに暮らし、
 最期の半年間手すりを付け、
 カートを借りるのに介護保険を使いました。

 認定は要介護2でした。

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2011年6月、救急病院に一泊二日ピンピンコロリ大往生 、
98歳と2カ月でした。

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スリーAとは・・・ 

・1992年、増田末知子氏創設「高齢者リフレッシュセンター」で
 実施された独自の脳活性化訓練の方法

・米国・豪州・ヨーロッパなどの視察の結果

  ♥認知症の早期発見

  ♥進行の食い止め

  ♥その人らしく暮らせることを目指す 

・軽い認知症に対する独自の脳活性化訓練を、楽しく、
 仲間と笑いあいながら行う方法を
 A:あかるく A:あたまを使って A:あきらめない
「スリーA方式」と言う


♥重度の認知症にならないよう進行予防
 

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スリーA研修で学んだこと 

▲認知症は寂しい病、自己の存在、意味を失い、苦痛、寂しさ、
記憶力・理解力・判断力の低下

▲自分自身で乗り越えられない状態を表現できない、心の叫び、
寂しさを周りが観察して、推測して気付くようにする

▲寂しい心を癒すには  優しさのシャワーを浴びせること

▲関わり方を工夫すると 
  本人は落ち着きを取り戻し 穏やかな暮らしが出来る

▲本人は 毎日が非日常なので それに合わせた接し方をする

▲誰かから必要・大切にされている と思ってもらえる
  関わり方・相談などを することが大切

▲笑顔で接して、本人を認め、褒め、笑い合うなどでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

在宅でできることは・・・私の心構え

  • 認知症は病気である
  • 不安がとても強い
  • 恐怖感がある

このことを頭に叩き込んで 

私自身の、思いっきりの笑顔と、テンションを最大にし

明るい色の洋服で 母に接した

認め・褒め・感謝・不可解な言動も逆らわず

母ののぞむ優しさって何だろう?

 ~~~~~~~~~~~~~~~ 

♥母のペースに合わせて「ゆっくり」

♥何度も聞いてくる質問には、初めて聞いたふりをして答える

♥しまい忘れた財布などは一緒に探して、見つけ役は母へ誘導する

♥知恵や感情は残っているので
 「教えて貰う」「相談する」「プライドを傷つけないように」

♥不安を取り除くために一緒の時間を過ごす

♥母にとって寂しくなるような嫌な悪い話はしない 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

在宅で 奇跡の100日目

 2003年3月 母に元の笑顔が 戻った!

 

✿笑顔が戻り、元の生活を過ごせるようになった

✿外出・買い物・バス電車乗り継いで通院

✿お土産・電話の取り次ぎ・電話をかける

✿味付けが戻る・料理の段取りもOK

✿孫のリクエスト「おばあちゃんのコロッケ」を教え
  陣頭指揮して美味しく出来上がりました

~~~~~~~~~~~~

2002年、京都国際会議場でのアルツハイマー病協会
第20回国際会議では、
「痴呆に市民権を~予防は治療に勝る~」を
キャッチフレーズに
「母の引戻し記録」ポスター発表致しました。

 

あぁ~やれやれやっと終わった!

ではなくて、最期のお別れでは、
楽しい良い思い出話が出来るように、
毎日を笑顔で穏やかに自宅で過ごす、
認知症になってもそのように暮らしたい。

~~~~~~~~~~~~ 

認知症本人と家族の24時間は、
本当に気の抜けない時間でした。
認知症になった最初の頃や、一段進んだ時には、
本人も家族も「何故こうなったんだろう?」と
混乱、大混乱しました。

 この時の手助けがなければ、
介護時刻・介護殺人のニュースのようになります。

私どもは、幸いスリーA方式の関わり方を信じて実行しました。
病気の発症を遅らせる、引き戻せる、重度化予防が出来る、
このスリーA方式認知症予防を、全国津々浦々に伝えたいと、
認知症予防ネットは発信しています。

東北3県被災地にも届け、大船渡・気仙沼では歩みだしました。

 

スリーA方式認知症予防に市民権を!

 ~~~~~~~~~

パワーポイントで映し出しながら話(原稿を読み)ました。

会場からの質問は無く、責任者のドクターから

「認知症予防に厚労省では、ウォーキングを推奨されていますが
 どのように思われますか?」との質問が有り、

「母は庭仕事、散歩をするのが好きでしたので、
最後の最期までh、母なりのウォーキング、散歩をしました」
と答えて、私の発表は終わりました!!

2015年2月 4日 (水)

花が一杯咲いているネェ~~!

2006年04月23日(日)22日(土)

(
母が認知症に入って20029月から、20033月に引き戻して
その後の記録を纏めるために、現在ピックアップしていますが、
日々の暮らしと、母の様子が通常だったり、っん?なので
っん?への関わり方を参考に読んで下されば幸いです!)
在宅引き戻し記録は、
 2013年日本認知症予防学会で浦上賞(優秀賞)受賞

カテゴリ:200645月母との毎日(当時の記録から~) 

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温かい陽射しを浴びながら、母は枯れた鉢をひっくり返している。
私はベランダでプランターの土をひっくり返している。

お茶を飲みながら、階段の花は満開だネェ!八重桜も!と。

認知症は今のことか、遠い思い出かのどちらかは思い出せる。

階段の花の話や、庭の八重桜が綺麗に咲いている話は、
見ながらなら話せる。

お茶を飲みながら、
何時間か前に庭に出てみた情景を思い出しながら話すことは
・・・健常者と近い。


スーパー前に出る出店は何曜日に出るのか?と聞く。
何か欲しいものがあるの?と尋ねると、
寝込んだときのためにタオルを買いたいと答えた。

そのような心配はしなくて良いし、絶対寝込まないで欲しい、
お母さんは寝込まないでコロリと行くから大丈夫よと安心させる。

早く死にたいと寂しくなると話すが、
寝込んだときのことを心配するのは、
認知症になってから初めてかもしれない!

ちょっとびっくりです。

その反面、ぺラルゴニュウムの花が咲いている鉢を
母のために購入したが、急に花が開いたよと言う。

 

 

2006年04月22日(土)

 ヘヤースプレー買って来よう

シャンプーの後の母の髪は妙に立っている。
ブラシをしっかりかけないからか・・・

髪が立つね!と言うと、
「シュッシュとする(スプレーの事)のを買って来る」

≪えっ?この間、これ何だか判らないから・・・と
スプレーを貰ったばかり、あれを出そうかな?
でも自分で買ったほうが良いかな・・・≫


この3年半、
そのスプレーは鏡台で忘れられていたものだった。

爪も切り、耳掃除もするようになった。

爪が切れるかどうかが認知症の判定になるとか・・・
そういえば、黒いスカートは何処においたかな?
とか、
白い糸を通して欲しい、靴下のほつれを直すから、
などと身の回りのことが見えてきている。

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