Powered by Six Apart

« 2018年2月 | メイン | 2018年4月 »

2018年3月

2018年3月22日 (木)

友人が「母との想い出」をご自分のブログで紹介して下さいました!

7年前ですので、前所属でのことですが、

福井個人の出来事なのです。

母一人の経験を「日本認知症予防学会」に発表しました。

そこで「優秀賞・浦上賞」を頂戴いたしました!

当日発表の時に、会場に居ましたが

あれっ?私の名前かな? まさか!

掲示板で確かめて、驚きました!

浦上克哉先生と、出会いましたら

「福井さん、おめでとうございます!」

信じられない~先生からのお言葉を戴いたなんて~

その時に同時発表の「スリーA創設者増田末知子氏」とともに

受賞しましたので、「寄り添う関わり方・優しさのシャワー」が

受賞して、認められたととても嬉しかったです~

「不変のスリーA増田方式」を拡げなければと
強く思いました!

紹介して下さった「それいゆ」さん、ありがとうございました!

スリーA研究所・関西支部

福井恵子

2018年3月16日 (金)

7年前に亡くなった母のことを思い出して(認知症から引き戻して)

はじめに

2002年9月に 40年来 育て続けた桜草 をスッポリ忘れ、険しく無表情になった母に、昔の笑顔を取り戻し、記憶力は 随分低下しましたが、笑顔で穏やかに自宅で暮し、最期はピンピンコロリと救急病院に1泊して逝ってしまった98歳の実母(大正2年5月生まれ)の話です。2011年6月29日没

 

家族の変化 

家族の形が変化したのは 息子たちが 次々と 成人して家を離れ 父がなくなり、家族は 半分に減って 淋しくなりました。

 

1階に母が一人、2階に私たち夫婦が 暮らしていました。 

家族の人数が減っても、母と私は 庭の花の手入れなどが好きで一緒にし、毎日 顔をあわせていましたので 言葉掛けをしない日は ありませんでした。

 一人になった母は 常に「寂しくない 一人が気楽」と言って 調理をし、テレビを相手に 食事をしていました。

 

そんな中、90歳を前にして、親孝行のつもりで、私が煮炊きしたものを 母の食卓へ 運ぶようにしました。

母も喜び、こちらも安心 と安定するはずでした。

 

これが 母を おかしくするなんて 夢にも思わなかったのです。

 

しかし それは 母の役割を 奪うことになり、また 私が忙しくしていて ゆっくりした 一緒の時間を過ごせなかったのも

母の混乱の もとだったように 今では感じます。

 

 

桜草事件2002

 

2002年9月、母が40年間 絶やさずに 育て続けていた「桜草」を 前の日には

 「桜草の鉢がこんなに増え、大きく育ったでしょう」と 自慢していたのに、次の日には 

「沢山あるこの葉っぱはなに?」と聞いてきました。

 

「桜草」という名前であること、

「花のようす」  「母が育てたこと」を話しても 母は「私はそんな花は知らない!」と 言い張りました。

 

「これが認知症なのか?」 と胸騒ぎが収まらない毎日でした。

 

「認知症の前ぶれはなかったのか?」

「味付けがおかしいこともあった」

「何でも面倒がる」「駅での待ち合わせも 約束の場所に居なかった」ことなど 思い出されました。

 

友人から「認知症は予防できるよ!」と 以前より 何度も 聞かされ 資料も頂いていましたが、私は、無関心でした。

 

頂いた資料には 「認知症の予防」と「引き戻し」が出来ること 「予防教室のリーダー研修会」があるのを 知りました。

  

母の困った様子

 母の そのころの困ったことは

  • 寂しくなったり 不安になると 銀行の通帳を広げてみているのですが、その通帳や 財布をしまいなくしていました ほぼ毎日、毎日何回も・・・繰り返しました。慌てふためいた母を見て 私もまた そのことに 振り回されていました。
  • 険しい表情で 無表情 口をへの字にし 無口 

笑顔は 勿論ありません。

  • 同じところに 同じ格好で 何時間も座っている
  • テレビは付けているが、ぼぅ~~としていて 観ていない。
  • 煮物が煮えていない、味付けが 可笑しい などでした。

スリーA

明るく 頭を使って あきらめない のあAという頭文字が 三つで スリーA

 

2002年のスリーA予防教室指導者研修会は 

母の混乱が始まって 三ヵ月後の12月初め の3日間、静岡県でありました。混乱していた母を家に残しての 外泊は 大変なことでしたが 東京から妹が来てくれたお陰で 参加できました。

 

研修会では、

「認知症について」 

「予防教室での関わり方」、

「寂しい心を癒すには 優しさのシャワーを浴びせること」 

などを 教えていただきました。

 

関わり方を 工夫することで、

本人は 落ち着きを取り戻して、穏やかな暮しが出来ること、

混乱している認知症の方は 毎日が非日常 なので それに合わせた接し方をする ことが大切、

「誰かから必要とされている、自分は大切にされている、そう思わせる、そのかかわり方が一番大切だ」とスリーAの増田末知子さんから教わり、深く共感しました。 

 

在宅でできること

 

まず、在宅で 私が心がけたことは、研修会で 教えていただいた

「認知症は病気であること」

「寂しい病」

「不安がとても強い」

「恐怖感がある」ことを、頭に叩き込み、

母と接する時は、思いっきりの笑顔と テンションを最大にあげて 母に 向かい、洋服も 明るい色を選ぶようにしました。

 

母を認め、褒める、感謝する 母の話すことが、不可解なことでも 逆らわずに うなずく などでした。「母ののぞむ 優しさって何だろう」 とも考えました。

 

 

母へのかかわりで注意したこと 

母のペースに合わせて「ゆっくり」と

 

母は母なりに 考え考えながら 自分のペースでゆっくりと 行動しているので、ひとつひとつに時間がかかります。

それを 時間がないから と急がせたり 手伝ったほうが早いからと 手出しをすると 混乱しますので 監視されていると 思わせないように 黙って見ない振りをして そぅっと見守ります。

何か質問してきたときには、物静かに 答えるように心がけています。

 

 

 

 

 

何度も聞いてくる質問には 「初めて聞いた振り」をして答える。

 

その答えが 記憶 理解でき、納得したら その質問をしなくなります。

何度も聞くのは、聞いたことを忘れるから また同じことを聞くのです。

 

何度も何度も それこそ何十遍も聞く質問は、

お歳暮を贈ったかどうか、とか

インフルエンザ予防注射は いつ行くのか、

ひ孫は いつ遊びに来るのかなど、

母には 最も大切な 「今」 気になることなのです。

 

 

 

 

しまい忘れた財布や 通帳は 「一緒に探し 見つけ役は 母へ誘導する」

 

財布は 目につかないようにと 誰でも 大切にしまうのが 当たり前なのですが、

母はいつもの置き場所を忘れたり、

違う場所に変えるので、ややこしくなるのです。

 

私は、おおよそ隠し場所は 

「あそこかあそこ」 と判っているので

「一緒に探そう、大事なものは何処に置くのかな?」などと言いながら、

あちこち わざと ゆっくり時間を掛けます。 

 

今、探し物をしていること や 母自身が探し出して「あっ 見つけた!」と 記憶させるために ゆっくりと探します。

 

私が探し当てても

 「お母さん、いつもこの辺りに置くのでは?」と 

母が見つけるように 工夫をします。

 通帳や 財布だけではなく 思い出せない話なども ヒントを出しながら 話します。

 

 

 

知恵や感情は残っているので 「教えてもらう」 「相談する」 「プライドを傷つけない」ようにする

 

料理の段取りは忘れて 複雑な料理は 出来にくいのですが、

カレーや 高野豆腐の箱には 作り方が書いてあり、それを拡大鏡で見ながら 作ってくれましたので 

材料を揃えておきました。

 

見ていると 拡大鏡を使って読みながら 

読んだその事を忘れていくので 

これも 時間がかかりました。

 

母の得意料理は 少なくなりましたが、

「お母さんの美味しい切干大根を煮て!」と 

母の役割を引き出しました。

 

勿論、食べ終わったら 忘れず

 「美味しかった!また作ってね!」と

最大限 感謝を伝えました。

 

お歳暮や、お礼の品物などは、必ず母に相談して決めました。

 プライドを傷つけない ことは 案外難しく、

忘れたことを 笑わない 馬鹿にしたりしない 

母が 出来なくなったことの話は しないようにしました。

不安を取り除くために、一緒の 時間を過ごす。

 

研修会で聞いた話ですが、

施設に入所していた方が トイレットペーパーを 

一度に全部使ってこまっていた、

そこの最高責任者が、その方の隣に座ることを 

毎日 同じ時刻に、10~20分、続けていく内に、

その問題行動は なくなったという、話がありました。

 

私も 母の寂しさを 和らげるのに、

夕食後の、2~3時間を 母の部屋で過ごすことにしました。

夕食後の後片付けも 洗濯ものを畳むのも放って 母の元へ行きました。

勿体無い時間だなぁ と何度も思いましたが・・・この時間は、「母への薬の時間」と割り切りました!

 

最初の頃は、何にもしないで、

母にエールを送る積りで 母の傍に ただ座って居ました。

混乱していた時には、不安一杯だったのでしょう、毎日 眠れないと言いましたので、

母が寝付くまで 

「続きのテレビが終るまで此処で観ていても良い?」などと 母の部屋で過ごしました。

母にとって 寂しくなるような 嫌な悪い話はしない。

 

嫌な話 例えば、母の知っている方が 亡くなった話や 家族の病気・手術 などは できる限り 母の耳に入れないようにしました。

 

記憶が出来ないのだから、聞いてもすぐ忘れるから 良いだろうと思いましたが、

不安に思う話や 嫌な話は 不思議なことに 

一度に記憶してしまいます! 

そして その話は 何時までたっても 記憶に留まるので 大騒ぎの原因になりました

 

その混乱を避けるために 家族中で 「嘘も方便」 口裏を合わせました。

 

 奇跡

 

あかるく 優しく ゆっくり 穏やかに、

母との時間を大切にし、母への関わり方を変え、

夢中で過して三ヵ月半経った頃

険しく無表情だった母の顔に、昔の笑顔が戻りました。

 

これを「100日めの奇跡」と 友人は表現してくれました。

 記憶  心配り  外出  料理ができるようになり、徐々に徐々に、日常生活が戻ってきました。

煮物がおいしく炊けるように、"おだし"や調味料を使うようになったことに驚き、少しずつレパートリーが戻ってきて感動しました。

 

母からの昔話は 何度でも、

初めて聴いたふりをして、上手に相槌をうつように努力しました。

が 何度も話す内に、私の顔色から

「あ、何度も聞いているな」と見て取れるらしく、

「何度も話していると思うけれど・・・」と 

断って話し出すことも ありました。

 

 

 

冗談

「認知症になって、とても悪くなったら 娘のことも わからなくなってしまうらしいね」 と言うと、

「あなたは何方さんでしたっけ?」と 

母は真面目な顔をして 私の顔をのぞきこみ 

冗談を言いました。

 

 「母への薬(黙って寄り添い)の時間」は 
落ち着いた頃には、1,2時間と短くなりましたが 

毎日必ず 続けていました。

混乱している時には とても嫌がった入浴でしたが、 すんなりはいるようになりました。着替えが面倒になり、着たきりすずめに なりますので、風呂に入ったら すばやく脱いだもの一式を代えます。

 

最後の頃は、やはり入浴は嫌がり、シャンプーも自分ではできなくなり、「ドライシャンプー」をすると

「あぁ~気持が良いなぁ~悪いわねぇ~こんなことをして貰って~」と大枚はたいてくれました。

シャンプーをしただけで大枚は貰えないので、

財布に戻しました

 

外出日の工夫

 

私の外出日には、出かける前20分は 

一緒にお茶を飲む時間を とりました。

出かける私に 母は、

「何かしておくこと無いかしら?」 と必ず 言いましたので、夕食の おひたしや 簡単な煮物 など 材料の準備は常にしておき 

一品を作ってもらいました。

 

そして 出先からは 会場に到着したコール。 

今、講演すんだコール。 近くの駅から帰るコール の三回、電話をし 母の無事確認と、夕食前には 必ず帰宅することを伝えました。

夕暮れの早い冬は、5時過ぎの帰宅でも、母にはとっても遅い感じがするらしく ご機嫌が悪いので、帰宅直前にも 「買い物で遅くなっていて ごめんね」 と電話をしました。

 

メモをとる

 

引き戻ってから嬉しかったことは、

外出から帰った私に、メモを見ながら、

「明日 小学校に朝8時50分に集合して下さい、と町内会の人が言ってきた」と伝言をしてくれました。

 

覚えていてくれた!

 

ある日曜日には 私は 夜遅くまで 外出しました。いつもなら、昨日の私の行動など忘れているのですが、

翌朝、「昨日は、あなたは 何処かへ出かけていたよね!」と 話しかけてくれまして とても嬉しかったです。

 

「忘れてしまうこと」を考えながら 接し暮していましたので 「覚えていてくれた!」ことの喜びは とても大きく懐かしい思い出です。

 

 

 

「また 覚えてもらう・・・記憶してもらう」 

そのためのエネルギーは ほとんど 無駄になるので 

予定など 早くから 言わないようにしました。

直前か、言わなくても良いことはパスしました!

 

お客さまが来ることは、嬉しい半面、母はとても気を遣いましたので、来ることを言いませんでした。

 

 スリーA精神で関わるように実行してから6年ほどは、母の状態は 良くなっていました。何処まで続く脳の改善、と毎日が楽しみでした。

 

 

家族の協力

 

ここまで 母が落ち着いたことは 母と私のふたりきりの時間が持てたこと、

また 私独りの力ではなく 

「遠くに居る兄や妹からは 母へ 週に二度づつ 電話をかけてくれる協力」

「息子たち家族の協力」、 

特に夫には 家事の疎かになった部分への手助けもあり とても感謝でした。

 

また、知人、友人達の 励ましや 介護を終えた方に 愚痴を聞いてもらうことも 大きな力でした。

 遊びに来た 母の大好きな曾孫には、

大きいバーバは 

「忘れる病気なので、同じことを聞いても 怒らないで 優しく 同じことを答えてね」と 

言い聞かせましたら、とても優しく接して おぼつかない足取りの時など、母の杖となり 支えてくれている 孫の姿はほほえましい姿でした。

 

スリーAに出会わなかったら

 

認知症の病気そのものは治りませんので 油断すると悪い方に戻ります。スリーAの予防法を学ばなかったら、母は私は、家庭生活は?

どうなって いただろうか?と考えました。

 

介護保険は最後の半年、門に手すりを付け、カートを借りただけでした。

母は、毎日ほんとうに 明るく 穏やか に暮していました。

 

最後の1か月は、「私は今日、此処に来たばかりですので、お手洗いと、寝る場所を教えて頂けますか?」と丁寧な言葉で聞いて来ました。

 

「私は誰ですか?」と聞いてみたくなりましたが、「知りません!」と言われたらどうしよう~と聞く勇気は出ませんでした。

 

きっと、たぶん、絶対、娘の私を忘れたのでしょう、本当に 辛い・むごい病気です!

 

スリーAの成果は 予防教室だけではなく、在宅でも 関わり方を変えることで これだけ 良くなることを 報告させて頂きました。

 

ご参考になれば幸いです。

 

 

2018年3月 3日 (土)

今日も楽しかったぁ~と笑顔で別れました

Mさんは、スリーA脳活性化ゲームを続けていて
最近、もの忘れが減ってきたのですよ~

今日もお誘いしました!
私が10年間ほぼ毎月1回のサポートを
続けていた「認知症予防ケアグループきらら」体験教室

リーダーも増えたので、と見守っていましたが
時々、顔を出します!今日はMさんを誘いました

改札口違いで、お互いちぐはぐでしたが~無事合流~
怪我をしていた一人暮らしのTさんが一緒~でした!
嬉しい~~ハグをしていました!

ランチを頂きながら、再開と全快を早くと祈りをこめて
沢山賑やかにお喋りをしました!

帰りの電車では、1席空いたので「座って下さいね~」

と促しましたが、「立っている方がお喋りしやすいから~」

次は17日に~

スリーA研究所関西支部

福井恵子

アクセスランキング