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在宅での引戻し記録 Feed

2018年3月16日 (金)

7年前に亡くなった母のことを思い出して(認知症から引き戻して)

はじめに

2002年9月に 40年来 育て続けた桜草 をスッポリ忘れ、険しく無表情になった母に、昔の笑顔を取り戻し、記憶力は 随分低下しましたが、笑顔で穏やかに自宅で暮し、最期はピンピンコロリと救急病院に1泊して逝ってしまった98歳の実母(大正2年5月生まれ)の話です。2011年6月29日没

 

家族の変化 

家族の形が変化したのは 息子たちが 次々と 成人して家を離れ 父がなくなり、家族は 半分に減って 淋しくなりました。

 

1階に母が一人、2階に私たち夫婦が 暮らしていました。 

家族の人数が減っても、母と私は 庭の花の手入れなどが好きで一緒にし、毎日 顔をあわせていましたので 言葉掛けをしない日は ありませんでした。

 一人になった母は 常に「寂しくない 一人が気楽」と言って 調理をし、テレビを相手に 食事をしていました。

 

そんな中、90歳を前にして、親孝行のつもりで、私が煮炊きしたものを 母の食卓へ 運ぶようにしました。

母も喜び、こちらも安心 と安定するはずでした。

 

これが 母を おかしくするなんて 夢にも思わなかったのです。

 

しかし それは 母の役割を 奪うことになり、また 私が忙しくしていて ゆっくりした 一緒の時間を過ごせなかったのも

母の混乱の もとだったように 今では感じます。

 

 

桜草事件2002

 

2002年9月、母が40年間 絶やさずに 育て続けていた「桜草」を 前の日には

 「桜草の鉢がこんなに増え、大きく育ったでしょう」と 自慢していたのに、次の日には 

「沢山あるこの葉っぱはなに?」と聞いてきました。

 

「桜草」という名前であること、

「花のようす」  「母が育てたこと」を話しても 母は「私はそんな花は知らない!」と 言い張りました。

 

「これが認知症なのか?」 と胸騒ぎが収まらない毎日でした。

 

「認知症の前ぶれはなかったのか?」

「味付けがおかしいこともあった」

「何でも面倒がる」「駅での待ち合わせも 約束の場所に居なかった」ことなど 思い出されました。

 

友人から「認知症は予防できるよ!」と 以前より 何度も 聞かされ 資料も頂いていましたが、私は、無関心でした。

 

頂いた資料には 「認知症の予防」と「引き戻し」が出来ること 「予防教室のリーダー研修会」があるのを 知りました。

  

母の困った様子

 母の そのころの困ったことは

  • 寂しくなったり 不安になると 銀行の通帳を広げてみているのですが、その通帳や 財布をしまいなくしていました ほぼ毎日、毎日何回も・・・繰り返しました。慌てふためいた母を見て 私もまた そのことに 振り回されていました。
  • 険しい表情で 無表情 口をへの字にし 無口 

笑顔は 勿論ありません。

  • 同じところに 同じ格好で 何時間も座っている
  • テレビは付けているが、ぼぅ~~としていて 観ていない。
  • 煮物が煮えていない、味付けが 可笑しい などでした。

スリーA

明るく 頭を使って あきらめない のあAという頭文字が 三つで スリーA

 

2002年のスリーA予防教室指導者研修会は 

母の混乱が始まって 三ヵ月後の12月初め の3日間、静岡県でありました。混乱していた母を家に残しての 外泊は 大変なことでしたが 東京から妹が来てくれたお陰で 参加できました。

 

研修会では、

「認知症について」 

「予防教室での関わり方」、

「寂しい心を癒すには 優しさのシャワーを浴びせること」 

などを 教えていただきました。

 

関わり方を 工夫することで、

本人は 落ち着きを取り戻して、穏やかな暮しが出来ること、

混乱している認知症の方は 毎日が非日常 なので それに合わせた接し方をする ことが大切、

「誰かから必要とされている、自分は大切にされている、そう思わせる、そのかかわり方が一番大切だ」とスリーAの増田末知子さんから教わり、深く共感しました。 

 

在宅でできること

 

まず、在宅で 私が心がけたことは、研修会で 教えていただいた

「認知症は病気であること」

「寂しい病」

「不安がとても強い」

「恐怖感がある」ことを、頭に叩き込み、

母と接する時は、思いっきりの笑顔と テンションを最大にあげて 母に 向かい、洋服も 明るい色を選ぶようにしました。

 

母を認め、褒める、感謝する 母の話すことが、不可解なことでも 逆らわずに うなずく などでした。「母ののぞむ 優しさって何だろう」 とも考えました。

 

 

母へのかかわりで注意したこと 

母のペースに合わせて「ゆっくり」と

 

母は母なりに 考え考えながら 自分のペースでゆっくりと 行動しているので、ひとつひとつに時間がかかります。

それを 時間がないから と急がせたり 手伝ったほうが早いからと 手出しをすると 混乱しますので 監視されていると 思わせないように 黙って見ない振りをして そぅっと見守ります。

何か質問してきたときには、物静かに 答えるように心がけています。

 

 

 

 

 

何度も聞いてくる質問には 「初めて聞いた振り」をして答える。

 

その答えが 記憶 理解でき、納得したら その質問をしなくなります。

何度も聞くのは、聞いたことを忘れるから また同じことを聞くのです。

 

何度も何度も それこそ何十遍も聞く質問は、

お歳暮を贈ったかどうか、とか

インフルエンザ予防注射は いつ行くのか、

ひ孫は いつ遊びに来るのかなど、

母には 最も大切な 「今」 気になることなのです。

 

 

 

 

しまい忘れた財布や 通帳は 「一緒に探し 見つけ役は 母へ誘導する」

 

財布は 目につかないようにと 誰でも 大切にしまうのが 当たり前なのですが、

母はいつもの置き場所を忘れたり、

違う場所に変えるので、ややこしくなるのです。

 

私は、おおよそ隠し場所は 

「あそこかあそこ」 と判っているので

「一緒に探そう、大事なものは何処に置くのかな?」などと言いながら、

あちこち わざと ゆっくり時間を掛けます。 

 

今、探し物をしていること や 母自身が探し出して「あっ 見つけた!」と 記憶させるために ゆっくりと探します。

 

私が探し当てても

 「お母さん、いつもこの辺りに置くのでは?」と 

母が見つけるように 工夫をします。

 通帳や 財布だけではなく 思い出せない話なども ヒントを出しながら 話します。

 

 

 

知恵や感情は残っているので 「教えてもらう」 「相談する」 「プライドを傷つけない」ようにする

 

料理の段取りは忘れて 複雑な料理は 出来にくいのですが、

カレーや 高野豆腐の箱には 作り方が書いてあり、それを拡大鏡で見ながら 作ってくれましたので 

材料を揃えておきました。

 

見ていると 拡大鏡を使って読みながら 

読んだその事を忘れていくので 

これも 時間がかかりました。

 

母の得意料理は 少なくなりましたが、

「お母さんの美味しい切干大根を煮て!」と 

母の役割を引き出しました。

 

勿論、食べ終わったら 忘れず

 「美味しかった!また作ってね!」と

最大限 感謝を伝えました。

 

お歳暮や、お礼の品物などは、必ず母に相談して決めました。

 プライドを傷つけない ことは 案外難しく、

忘れたことを 笑わない 馬鹿にしたりしない 

母が 出来なくなったことの話は しないようにしました。

不安を取り除くために、一緒の 時間を過ごす。

 

研修会で聞いた話ですが、

施設に入所していた方が トイレットペーパーを 

一度に全部使ってこまっていた、

そこの最高責任者が、その方の隣に座ることを 

毎日 同じ時刻に、10~20分、続けていく内に、

その問題行動は なくなったという、話がありました。

 

私も 母の寂しさを 和らげるのに、

夕食後の、2~3時間を 母の部屋で過ごすことにしました。

夕食後の後片付けも 洗濯ものを畳むのも放って 母の元へ行きました。

勿体無い時間だなぁ と何度も思いましたが・・・この時間は、「母への薬の時間」と割り切りました!

 

最初の頃は、何にもしないで、

母にエールを送る積りで 母の傍に ただ座って居ました。

混乱していた時には、不安一杯だったのでしょう、毎日 眠れないと言いましたので、

母が寝付くまで 

「続きのテレビが終るまで此処で観ていても良い?」などと 母の部屋で過ごしました。

母にとって 寂しくなるような 嫌な悪い話はしない。

 

嫌な話 例えば、母の知っている方が 亡くなった話や 家族の病気・手術 などは できる限り 母の耳に入れないようにしました。

 

記憶が出来ないのだから、聞いてもすぐ忘れるから 良いだろうと思いましたが、

不安に思う話や 嫌な話は 不思議なことに 

一度に記憶してしまいます! 

そして その話は 何時までたっても 記憶に留まるので 大騒ぎの原因になりました

 

その混乱を避けるために 家族中で 「嘘も方便」 口裏を合わせました。

 

 奇跡

 

あかるく 優しく ゆっくり 穏やかに、

母との時間を大切にし、母への関わり方を変え、

夢中で過して三ヵ月半経った頃

険しく無表情だった母の顔に、昔の笑顔が戻りました。

 

これを「100日めの奇跡」と 友人は表現してくれました。

 記憶  心配り  外出  料理ができるようになり、徐々に徐々に、日常生活が戻ってきました。

煮物がおいしく炊けるように、"おだし"や調味料を使うようになったことに驚き、少しずつレパートリーが戻ってきて感動しました。

 

母からの昔話は 何度でも、

初めて聴いたふりをして、上手に相槌をうつように努力しました。

が 何度も話す内に、私の顔色から

「あ、何度も聞いているな」と見て取れるらしく、

「何度も話していると思うけれど・・・」と 

断って話し出すことも ありました。

 

 

 

冗談

「認知症になって、とても悪くなったら 娘のことも わからなくなってしまうらしいね」 と言うと、

「あなたは何方さんでしたっけ?」と 

母は真面目な顔をして 私の顔をのぞきこみ 

冗談を言いました。

 

 「母への薬(黙って寄り添い)の時間」は 
落ち着いた頃には、1,2時間と短くなりましたが 

毎日必ず 続けていました。

混乱している時には とても嫌がった入浴でしたが、 すんなりはいるようになりました。着替えが面倒になり、着たきりすずめに なりますので、風呂に入ったら すばやく脱いだもの一式を代えます。

 

最後の頃は、やはり入浴は嫌がり、シャンプーも自分ではできなくなり、「ドライシャンプー」をすると

「あぁ~気持が良いなぁ~悪いわねぇ~こんなことをして貰って~」と大枚はたいてくれました。

シャンプーをしただけで大枚は貰えないので、

財布に戻しました

 

外出日の工夫

 

私の外出日には、出かける前20分は 

一緒にお茶を飲む時間を とりました。

出かける私に 母は、

「何かしておくこと無いかしら?」 と必ず 言いましたので、夕食の おひたしや 簡単な煮物 など 材料の準備は常にしておき 

一品を作ってもらいました。

 

そして 出先からは 会場に到着したコール。 

今、講演すんだコール。 近くの駅から帰るコール の三回、電話をし 母の無事確認と、夕食前には 必ず帰宅することを伝えました。

夕暮れの早い冬は、5時過ぎの帰宅でも、母にはとっても遅い感じがするらしく ご機嫌が悪いので、帰宅直前にも 「買い物で遅くなっていて ごめんね」 と電話をしました。

 

メモをとる

 

引き戻ってから嬉しかったことは、

外出から帰った私に、メモを見ながら、

「明日 小学校に朝8時50分に集合して下さい、と町内会の人が言ってきた」と伝言をしてくれました。

 

覚えていてくれた!

 

ある日曜日には 私は 夜遅くまで 外出しました。いつもなら、昨日の私の行動など忘れているのですが、

翌朝、「昨日は、あなたは 何処かへ出かけていたよね!」と 話しかけてくれまして とても嬉しかったです。

 

「忘れてしまうこと」を考えながら 接し暮していましたので 「覚えていてくれた!」ことの喜びは とても大きく懐かしい思い出です。

 

 

 

「また 覚えてもらう・・・記憶してもらう」 

そのためのエネルギーは ほとんど 無駄になるので 

予定など 早くから 言わないようにしました。

直前か、言わなくても良いことはパスしました!

 

お客さまが来ることは、嬉しい半面、母はとても気を遣いましたので、来ることを言いませんでした。

 

 スリーA精神で関わるように実行してから6年ほどは、母の状態は 良くなっていました。何処まで続く脳の改善、と毎日が楽しみでした。

 

 

家族の協力

 

ここまで 母が落ち着いたことは 母と私のふたりきりの時間が持てたこと、

また 私独りの力ではなく 

「遠くに居る兄や妹からは 母へ 週に二度づつ 電話をかけてくれる協力」

「息子たち家族の協力」、 

特に夫には 家事の疎かになった部分への手助けもあり とても感謝でした。

 

また、知人、友人達の 励ましや 介護を終えた方に 愚痴を聞いてもらうことも 大きな力でした。

 遊びに来た 母の大好きな曾孫には、

大きいバーバは 

「忘れる病気なので、同じことを聞いても 怒らないで 優しく 同じことを答えてね」と 

言い聞かせましたら、とても優しく接して おぼつかない足取りの時など、母の杖となり 支えてくれている 孫の姿はほほえましい姿でした。

 

スリーAに出会わなかったら

 

認知症の病気そのものは治りませんので 油断すると悪い方に戻ります。スリーAの予防法を学ばなかったら、母は私は、家庭生活は?

どうなって いただろうか?と考えました。

 

介護保険は最後の半年、門に手すりを付け、カートを借りただけでした。

母は、毎日ほんとうに 明るく 穏やか に暮していました。

 

最後の1か月は、「私は今日、此処に来たばかりですので、お手洗いと、寝る場所を教えて頂けますか?」と丁寧な言葉で聞いて来ました。

 

「私は誰ですか?」と聞いてみたくなりましたが、「知りません!」と言われたらどうしよう~と聞く勇気は出ませんでした。

 

きっと、たぶん、絶対、娘の私を忘れたのでしょう、本当に 辛い・むごい病気です!

 

スリーAの成果は 予防教室だけではなく、在宅でも 関わり方を変えることで これだけ 良くなることを 報告させて頂きました。

 

ご参考になれば幸いです。

 

 

2017年2月23日 (木)

東京で「スリーA増田方式」

2017年2月16日~22日の

「講演と脳活性化ゲーム体験」

その1週間は、寒暖の差が激しかった東京でしたが、
多くの方々へ「在宅引き戻し記録と脳活性化ゲーム体験」を
聞いて頂き、体験して頂きました!

16日田園調布長田クリニック13時半~15時半
長田優香先生が、自らお出まし頂いて
診療室から「講演会場」への設定を考え指示をして頂きながら
みなでお手伝いでした!

スリーA関西の兵庫支部・高知支部の応援を得て
あっという間に設営されました!

13時半には、申込みされた方がまだ到着されていませんでしたが、
高知支部の及川さんにお願いして、準備運動を兼ねた運動をやって頂きました!

その頃には全員が集まられました!
私の自己紹介と「認知症の母を引き戻した記録」を20分
共感して聞いて下さったようです(アンケートから)
そのあとに「認知症の予防の大切さ」を10分

大きな名札を準備して、ゲーム体験!
若い方々も見えていましたが、大盛り上がりでした。

25名程の大きな輪になりのゲーム展開でしたので、
其々お向いの方の顔の変化が良く分かり、
「顔色が違っていて、ニコニコして居られる~」
と感心されていました!

言われている本人も「笑顔」

輪での質問はなくて、個人での質問がありました。

いつかまた、連続講座をと希望します!

~~~~~~~~~~~~~~~~~

17日後楽園自然療法小石川サロン凪では、
広報が行き届かずに、友人お一人でしたが、22日の
「リーダー養成講座個人レッスン」に繋がりました!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

18日(土)は、青梅市ひだまりサロンでの講座と体験でした。

参加者は少ないよ~と仰って居て定員20名のレジュメしか
準備せずでしたが、スタッフ入れて25名を超えました!
主催者がコピーに走って下さったようです!

こちらでも申込者が定刻に全員集まらずでしたので、
準備運動~腰かけたまま、手を振り足踏みをして
「1~20・20~1」へと1人ずつ数を言う!
次は
「1~20同じ数数えながら3の倍数の人は拍手をする
反対に数を数えながら3の倍数の人は拍手する」
・・・難しかった~自分の晩で堂堂と「12!」
爆笑をして頂きました!

「母の引き戻し記録」講演と、「脳活性化ゲーム体験」
ここは、交流の場で30分がありますので、少し短くなりました。

認知症の方を見送った方、遠距離介護をなさっている方、
現在認知症介護の真っただ中の方が多くいらっしゃったので
驚きましたが、80歳を超えてもお仕事として清掃を毎日されている
素敵な高齢者にもお会いして、勇気を頂きました!

次の日の19日が青梅マラソンというので、その道を走り準備を見ました!
臨時トイレがあちこちに、救護センターもありました!

澤乃井酒造の倉見学は出来ませんでしたが、
渓谷沿いの景色と酒饅頭を戴きました!
吊橋もわたり、1人乗りのカヌーをみおくり~
癒されました!梅が満開でした!

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20日(月)は、コムワークサロン・大崎
パソコン教室での開催でしたので、5,6人集まるかな?
でしたが、10名もの方々が集まって下さいました!
それも高齢者!です!
健康麻雀の仲間たちも居られて、指運動は全く戸惑わずに
されているのには、感動でした!

皆さん、とても気に入られて、東京に来られる事があれば、
声をかけて下さいとの嬉しい言葉を戴きました!

主催者との繋がりは、東日本大震災バスツァーでお世話になった
副団長でした!とてもダンディなおじさまで(ダジャレ連発)
とても大切な方なのです!奥様も素晴らしい方でした!

21日(火)武蔵野市テンミリオンハウスきんもくせい
ミニ講習会でした!

後刻の報告とします

2015年8月16日 (日)

2008年7・8月のブログより

<爪切り 葬式の心配 介護者の旅>

 

2008年07月04日(金)

爪きり 健康保険証・・・後期高齢者医療制度証?

 

母のお薬がやっとなくなった!
飲み忘れは 別に気にならないが 薬がなくなった!
ということは 非常に気になる…

母を連れ出そうと 前々より 今日いけるか 明日行こうか…
お風呂に入った 明日行こう(^^)


などと結構気を遣う!



で、お薬がなくなったので 母を連れて行かなくても
お薬だけでも 貰いに行かなくちゃぁ~~~!


さて 朝から 保険証を出すように 母に話した!

探しても さがしても サガシテモ 出てこない!
一緒に探すが 出てこない!!


あちこちの汚いところが目に付き 掃除機をかける!
いらいらして 母の爪も気になる!

キツイ調子で「おかあさん!爪まだ切っていないじゃないの!明るいうちに切ってね!」


母は 探し物をしているのに 爪を切れといわれて
混乱状態…


爪切りを探しているのか 何だっけ?探しているのは???

混乱状態が伝わってきた!

爪切りを手渡して「はい!明るいところで切ってね」


廊下に出るが 見難いらしく 電灯の下に戻る…
泣きそうな声で「見えない…」



目が薄くなっている…と母はよく言う!
それなのだろう!

「切ってあげよう・・・」
椅子に座らせ 切りだすと「くしゅんくしゅん…」
「爪も切ってもらうようになっちゃって…死にたいよう~~~」

探し物は出てこない上に 暑い!
母は泣き出すし いらいらも募る一方!


母の爪はまだまだしっかりしている
「おかあさん 爪もしっかりしているから まだ死ねないよ~~~」
って言っちゃった!

「いやだよう~~直ぐにでも死にたいのに~~~」
「川にでも飛び込めばいいのになぁ くちゅん」


魔法使いの爪のように伸びていたし 足の爪も見事だった!


で、保険証は…ぺらっと一枚ものになったので 預かった ことを すっかり忘れていた!(私も脳が相当萎縮を始めたようだ(^^;)


あ~~~~つかれた

 

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2008年07月18日(金)

隣のととろ  となりのトトロ♪

 

午後9時から始まった…


母と一緒に見た~~~


夕方町内の通夜があり ご飯を食べたら疲れて
私は母の傍で うとうと…



まっくろくろすけ 辺りまで 朦朧としていた



里山風景に 母は とても嬉しかったらしく 見入っていた


めいちゃんのしぐさ ととろのお腹の上で 寝てしまうさまも 「あの足・・・」などと言いながら 見ていた



お父さんを迎えにバス停まで行き うとうと寝てしまうさまも 可愛い・・・と声を出した!



11時にやっと終わった…

「長居をしてごめんね」
「私も楽しかったから良いのよ~~」

って…

 

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2008年07月22日(火)

あら・・・家で静かにしていると~

 

「涼しいよ~~~!」



母に出先から 電話をすると言う…



うだるようなプラットフォームから 電話をすると
答える…



出かけるときに母の部屋には エアコンをつける


しめっきりにすると 寒いくらいなので
玄関に通じるドア・庭への掃き出し は開けておく!
電気代云々は 何時頃からだろうか~頭に無い!
母が元気で穏やかであれば ちょっとの電気・水道代は なんてことない!



最高気温が35度以上になる時は 電話で
「ドアや窓は閉めると クーラーが効くよ~~」
と一言添える…


「あ、そうね・・・」と閉めているようだ!


今日の最高気温35度を越えた!

 

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2008年08月05日(火)

日めくり

 

1週間もめくっていないこともあるが…

8月に入ってから 毎日めくられている♪


不思議!

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2008年08月18日(月)

 

猫一匹で・・・



次男が帰省中に 旅行に出かけた! 

それも5泊… 


世話もしないが マギーの世話… 
母とのかかわりに猫が間に入り…微妙な関係 


母は猫は嫌い…というより
認知症になっているので 自分勝手 
自分のことしか考えられない 


猫が擦り寄ってくると「わぁ~~気持ち悪いぃ~~」 



なので 母の部屋には 入らないように しなければならない… 


案外難しい 


母はドアを開けっ放しにしている 
静かな母の部屋は マギーは大好き♪ 
ドアが開いていれば いつの間にか 
音もなく入り 好きなところに陣取っている 


母のご機嫌の良い時には そのままでOK! 

マギーが去ると 母は大騒ぎ「猫が居なくなった~~」 
と掃きだしを開け 外を探す… 
マギーが出て行ってしまう最大の危機! 

マギーは 知らん顔して 三階に寝ていたり… 
腹が減ったと おねだりに 私の足元にまとわりついている 


マギー大作戦 
・朝と夕方 母が雨戸を閉める時間には 私たちの部屋に閉じ込める 
・母をひとり残して留守にする時には 三階の一部屋に閉じ込める 
・母が就寝したら 母の部屋のドアを確認して マギーを開放する 


次男曰く 
母が窓などを開けて逃げ出して それを知らなくて 締め出すこと! 

一度マギーが居ないので 探し回った… 
洗面所に閉じ込められていた…
母が使ったときに マギーも一緒に入った 母は知らなくて ドアを閉めた! 


猫って 静かで いつの間にか 足元にいたり 好きな場所で 眠っている… 



あ~~結構疲れるよ~~ 

マギーが帰ったら これまた寂しくなるのだろう! 


昨夜から 私の寝床を占領している… 
蹴飛ばすわけにも行かず 私が! 小さくなって 寝ている 

しかし いつの間にか 居なくなる… 
猫の毛が ふわふわしていて 気になるぅ~~~

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2008年08月25日(月)

大丈夫だよ~~ 

 

2008年8月23日~24日

博多座観劇のために 母を夫に頼んで 留守にした!


いつもなら 携帯電話で 母と話すのだが
夫は「大丈夫だよ~~電話をしなくても…」

・・・・・

親しい友人家族との夕食会…
和風居酒屋?鉄板焼き?

賑やかな店内…時間制限があるらしく どんどん静かになっていく

美味しかった 母娘と観劇…

私には 叶わぬ夢だが 羨ましい~~♪



遠くまで来ているからと 両日ニ公演…
2日目は…ごっちゃごっちゃになってきた!

ランベスはこれからだな! 
うん? 幻想シーン? あ~~前楽の二幕目だ!

大事に大事に観なきゃ~~!


・・・・・

23日 夕方…夫に電話をしたら
「今、夕飯を持っていったところ…何事も無いから大丈夫だよ~~~」

24日は 夫は緊急同窓会!
10時から17時まで留守にする…

見計らって電話…
電話の向こうから 元気な母
「こちらは大丈夫だから そっちこそ気をつけてね!」

夕方…眠そうな声だったが
「夕飯の準備が出来ているんだったら 安心だよ~~」

千秋楽は幕を下ろし 一目散に博多駅に!
予定していたひかりより 前の列車に乗れた♪
自由席でゆっくり…していたら


岡山駅で 続々と乗り込んでくる…
何の説明も無かったが 岡山駅を10分遅れで出発!

姫路駅では 降りる人が動けないほどの 満員とわかった!


東海道新幹線が 豪雨のために 運転見合わせていて 
車両のやりくりが出来ないために 博多→東京 を岡山止にして
 16両編成の客を 8両編成の ひかりレールスターに 
詰め込んだってことらしい…

新大阪駅からのアクセスも 駅の係員に聞くように…

新大阪駅のアナウンスでは「二時間以上の遅れは払い戻します!」

大混乱の新幹線だったようだ!


遅れはしたが 無事日付の変わる前に 帰宅できた!


暑い私の夏はおわった!

 

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2008年08月29日(金)

博多座「ME AND MY GIRL」が残したもの

 

座長霧矢大夢の演技…
彼女の役創りにかける想いは相当なもので、舞台に立つと役になりきる!

今回は“ビル”が舞台狭しと 生き生きと ビルを演じ生きていた!

きりやんのビルの素晴らしさと舞台の感動は 置いておいて…


私自身の「ひとかけらの勇気」
    スカーレットピンパーネルから頂きましたが…

私は、今まで、6年間、母が認知症を患って以来 
見守り介護をしてきた。誰の手も借りずに…
勿論、夫、長男家族&次男の協力、妹の応援もあるのだが、
おおむね私一人で!

観劇に行ったりして6,7時間を家をあけ
母が留守番をしてくれるのは 日常茶飯事! 
その6,7時間の間に 夫が仕事から戻り 
母へこえをかけてくれる協力あってのこと。

昨年6月には、「大阪侍」の主演を祝い、
有馬温泉での友人との語らいでは、30時間私は家を空けた!

その時の「勇気」も今は懐かしい!
ただその時は、何かがあればタクシーで帰れる範囲と 案外気軽だった。

もう一泊、東京に居た次男宅へ泊まった時。
これは妹共に「東宝・マホロバ」観劇とセットにしていたし、
次男が東京を離れることも判っていた。
なんとなく理由付けがあった!


しかし…今公演は 海の向こう(?)九州博多!
どうしてだろう…後ろめたかった!

ま、日帰り(12時間行程)が出来ないことも無い、
と日帰り三日間3公演の予定は組んだ。

VISAでチケットはゲットできるし、友人からチケットも譲ってもらえた!
ニ公演を観ての日帰りは、17時間、真夜中の帰還となる…

八月の一番暑い時期に 夏には「青菜に塩」状態のこの私が…
そのような芸当ができるのか!


次男の勤め先は…夏休みが長い! 
母は次男には心を許している!(夫よりは…) 
次男に帰省をしてもらえれば…
と三日間くらいなら見守りもできるだろう!

お茶会を中にした二泊三日の追っかけ旅は予定され、決行された!!!
三日間とも、私は母への電話で話もせずに、
(母を忘れて)のんびりと、観劇と友人達との楽しい語らい&宴会で 
時間は過ぎていった!


次男曰く:
「おばあちゃんの見守り介護って大変だなぁ~お母さんはよう頑張っていると思うよ!」

と労われ、誉められた!


それ以外に、初日、楽日前の 一泊追っかけ二回も 
私の勇気(無謀かもしれなかったが…)で 決行され、
夫の大きな協力のお陰さまで、無事乗り切れた!


舞台の感動よりも、自分自身の「勇気」が 今回の 大きな収穫だった♪

裏を返せば、母の時間の感覚が無くなったこと、
記憶力の低下が 幸いしている。


どんどん母の病気も進行するだろうが、
このまま 家の中で、静かに穏やかに生活していくなら 
私は母の介護を やり遂げられるだろう…と信じて、次の大劇場も楽しむぞ!
(今回のような遠方ではないので、せいぜい真夜中帰りが 
 ひょっとしたら≪絶対≫あるかもしれないが…)

 

 

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2008年08月30日(土)

懐メロ・・・

 

今夜のNHKは豪華&?だが

母は大喜びだった!

出てくる人の名前はなんだっけ?

この歌は聴いたことがある!

ぱちぱちぱち…老いて曲がった手で!


村田英雄のときは 可笑しかった…
「まだ若々しいね…村田英雄」

氷川きよしだよ~~~(^^;


裕次郎夫人…いつまでも素敵!メッセージも素敵だった!


森光子…88歳! 歌えたね~
でも…さびしいなぁ~枯れちゃって(^^;


小柳ルミ子…男性ダンサーを従えて
おみ足も…まだまだお若い!


ロカビリー三人組み…当時のまんま!
赤木圭一郎…思い出しちゃった!

 

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2008年08月31日(日)

何も出来ないで~~~

 

夏草が…酷すぎるので、30分間を目処に…庭に出る


「ちょっと庭の手入れをするからね」
と母に声をかけて…
「何をするの?」
「草抜き」


昨日の雨で 草は抜きやすいが…あっというまに 抜いた草が 山になる!



涼しいとはいえ 長袖・長ズボン・長靴・日除け帽子をすっぽりかぶり…
こちらも あっという間に ぽたぽた汗が落ちる!



携帯電話に30分の目覚まし…今日の30分は長かった!



終わって母へ報告すると…
「私はな~んにも手伝えない~~」クスンクスン…


あ~久しぶりに始まった「死にたいよ~」


「あら。おかあさん もっと涼しくなったら 手伝って欲しいのよ~ 桜草の植え替え」
「わかったわ~」


昼食後「食事が終わったらちょっと来て!」
あ~~嫌な予感(^^;

「若い者はお金があるだろうか?」
「若い者って?」
「私の長男よ…」
「何故気になるの?」
「私が死んだら香典を出せるかどうか!」

…何を言いたいんだろう?

「香典なしのお葬式もあるのよ~~」
「私の葬式には 長男に負担をかけるから…」
「おかあさんは、葬式のためにってあるよ!」
「あ~それならいい…何時になったら死ねるんだろう~」ぐすぐす

…始まった!

「川に飛び込みたいが~~」
…それきた

「川に行くのも行けないし…欄干を乗り越えられないだろうから~」
…そうだそうだ!

「どうしてそんなに死にたいの? 楽しくないのかな? 私が苛めているみたいじゃないの(これを言っちゃお仕舞なんだけど!)…」
「寂しくないよ~~」
…そうか 寂しいんだ!

「死にたくないのに 死んじゃう人一杯居るのだから~贅沢言わないのよ…」

…あ~今朝はわが家には 新しい優しい風が吹いている~~って書いたところなのに…



お昼にご馳走食べさせすぎたかな?
…美味しいものを私が持参すると 母は 恐縮して世話をかけている!と感じるらしい! その辺りの兼ね合いが難しい!

 

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2015年2月 5日 (木)

在宅での引戻し記録

これは2007年5月19日 NPO法人認知症予防ネット第三回通常総会の時に発表した話に 少し手を加えたものです。

随時修正・追加し、その時々のエピソードは 別ページに掲載する計画です。完成までに時間がかかりますが、色々な 母と私 夫 孫との関わりも書き綴って 母の“認知症からの引き戻し記録”とします。

私がスリーA方式予防法を学んで、在宅で4年以上引き戻しを継続し、ここまで良くなった ひとつの事実の記録を、お読みいただけましたら幸いです。

                 2007.6.10        福井恵子

はじめに

4年半前(2002年9月)に 40年来 育て続けた桜草 をスッポリ忘れ 険しく無表情になった母に、昔の笑顔を取り戻し、今は 記憶力は 随分低下しましたが、笑顔で穏やかに自宅で暮している 94歳になる母(大正2年5月生まれ)の話です。

以前、私の家族は 親・子・孫 三世代で住んでいました。
1階では 親夫婦が 食事をし、2階では 私たち夫婦と 子ども二人の四人が食事をする という一つ屋根の下の二世帯住宅でした。 

母も私も 土いじりが好きで、一年中 庭に花を咲かせて共通の愉しみとしていました。

家族の変化

家族の形が変化したのは 14年前です。息子たちが 次々と 成人して家を離れ 父がなくなり、家族は 半分に減って 淋しくなりました。

現在は 1階に母が一人、2階に私たち夫婦が 暮らしています。

家族の人数が減っても、母と私は 庭の花の手入れなどは一緒にし、毎日 顔をあわせていましたので 言葉掛けをしない日は ありませんでした。

一人になった母は 常に「寂しくない 一人が気楽」 と言って 調理をし、テレビを相手に 食事をしていました。

そんな中、90歳を前にして、親孝行のつもりで、私が煮炊きしたものを 母の食卓へ 運ぶようにしました。母も喜び、こちらも安心 と安定するはずでした。 これが 母を おかしくするなんて 夢にも思わなかったのです。

しかし それは 母の役割を 奪うことになり、また 私が忙しくしていて ゆっくりした 一緒の時間を過ごせなかったのも 母の混乱の もとだったように 今では感じます。

桜草事件≪2002年≫

そして 4年半前の2002年9月、母が40年間 絶やさずに 育て続けていた「桜草」を 前の日には 「桜草の鉢がこんなに増え、大きく育ったでしょう」と 自慢していたのに、次の日には 「沢山あるこの葉っぱはなに?」と聞いてきたのです。

「桜草」という名前であること、「花のようす」  「母が育てたこと」を話しても 母は「私はそんな花は知らない!」と 言い張ったのです。

「これが認知症なのか?」 と胸騒ぎが収まらない毎日でした。

「認知症の前ぶれはなかったのか?」「味付けがおかしいこともあった」「何でも面倒がる」「駅での待ち合わせも 約束の場所に居なかった」ことなど 思い出されました。

代表の高林から「認知症は予防できるよ!」と 以前より 何度も 聞かされ 資料も頂いていましたが、私は、無関心でした。

頂いた資料には 「認知症の予防」と「引き戻し」が出来ること 「予防教室のリーダー研修会」があるのを 知りました。

母の困った様子

母の そのころの困ったことは…

  • 寂しくなったり 不安になると 銀行の通帳を広げてみているのですが、その通帳や 財布をしまいなくしていました ほぼ毎日、毎日何回も・・・繰り返しました。慌てふためいた母を見て 私もまた そのことに 振り回されていました。

  • 険しい表情で 無表情 口をへの字にし 無口 笑顔は 勿論ありません。

  • 同じところに 同じ格好で 何時間も座っている

  • テレビは付けているが、ぼぅ~~としていて 観ていない。

  • 煮物が煮えていない、味付けが 可笑しい などでした。

スリーA

≪明るく 頭を使って あきらめない
      のAという頭文字が 三つで スリーA≫

2002年のスリーA予防教室指導者研修会は 母の混乱が始まって 三ヵ月後の12月初め の3日間、静岡県でありました。
混乱していた母を家に残しての 外泊は 大変なことでしたが 東京から妹が来てくれたお陰で 参加できました。

研修会では、
「認知症について」 「予防教室での関わり方」、「寂しい心を癒すには 優しさのシャワーを浴びせること」 などを 教えていただきました。

関わり方を 工夫することで、本人は 落ち着きを取り戻して、穏やかな暮しが出来ること、混乱している認知症の方は 毎日が非日常 なので それに合わせた接し方をする ことが大切、「誰かから必要とされている、自分は大切にされている、そう思わせる、そのかかわり方が一番大切だ」とスリーAの増田先生から教わり、深く共感しました。 

在宅でできること

まず、在宅で 私が心がけたことは、研修会で 教えていただいた「認知症は病気であること」 「寂しい病」「不安がとても強い」「恐怖感がある」ことを、頭に叩き込み、母と接する時は、思いっきりの笑顔と テンションを最大にあげて 母に 向かい、洋服も 明るい色を選ぶようにしました。
母を認め、褒める、感謝する 母の話すことが、不可解なことでも 逆らわずに うなずく などでした。
「母ののぞむ 優しさって何だろう」 とも考えました。

母へのかかわりで注意したこと

母のペースに合わせて「ゆっくり」と

母は母なりに 考え考えながら 自分のペースでゆっくりと 行動しているので、ひとつひとつに時間がかかります。
それを 時間がないから と急がせたり 手伝ったほうが早いからと 手出しをすると 混乱しますので 監視されていると 思わせないように 黙って見ない振りをして そぅっと見守ります。
何か質問してきたときには、物静かに 答えるように心がけています。

何度も聞いてくる質問には
    「初めて聞いた振り」をして答える。


その答えが 記憶 理解でき、納得したら その質問をしなくなります。
何度も聞くのは、聞いたことを忘れるから また同じことを聞くのです。

何度も何度も それこそ何十遍も聞く質問は、
お歳暮を贈ったかどうか、とか
インフルエンザ注射は いつ行くのか、
ひ孫は いつ遊びに来るのかなど、
母には 最も大切な 「今」 気になることなのです。

お歳暮の送り状を 目につく所に置く、
カレンダーに印をする など工夫をしますが、
私自身の生活もあり 「面倒さ」が案外難しいことのひとつです。


しまい忘れた財布や 通帳は 
「一緒に探し 見つけ役は 母へ誘導する」

財布は 目につかないようにと 誰でも 大切にしまうのが 当たり前なのですが、母はいつもの置き場所を忘れたり、違う場所に変えるので、ややこしくなるのです。

私は、おおよそ隠し場所は 「あそこかあそこ」 と判っているので
「一緒に探そう、大事なものは何処に置くのかな?」などと言いながら、あちこち わざと ゆっくり時間を掛けます。 今、探し物をしていること や 母自身が探し出して「あっ 見つけた!」と 記憶させるために ゆっくりと探します。

私が探し当てても 「お母さん、いつもこの辺りに置くのでは?」と 母が見つけるように 工夫をします。

通帳や 財布だけではなく 思い出せない話なども ヒントを出しながら 話します。


知恵や感情は残っているので 
「教えてもらう」 「相談する」 「プライドを傷つけない」ようにする

料理の段取りは忘れて 複雑な料理は 出来にくいのですが、カレーや 高野豆腐の箱には 作り方が書いてあり、それを拡大鏡で見ながら 作ってくれますので 材料を揃えておきます。

見ていると 読みながら それを忘れていくので これも 時間がかかります。

母の得意料理は 少なくなりましたが、「お母さんの美味しい切干大根を煮て!」と 母の役割を引き出します。

勿論、食べ終わったら 忘れず 「美味しかった!また作ってね!」と最大限 感謝を伝えます。   

お歳暮や、お礼の品物などは、必ず母に相談して決めます。

プライドを傷つけない ことは 案外難しく、忘れたことを 笑わない 馬鹿にしたりしない 母が 出来なくなったことの話は しないようにします。
作って貰った料理で 不味いことも ありますが、プライドを傷つけないように 「美味しかったよ」 とほめます。

不安を取り除くために、一緒の 時間を過ごす。

研修会で聞いた話ですが、施設に入所していた方が トイレットペーパーを 一度に全部使ってこまっていた、そこの最高責任者が、その方の隣に座ることを 毎日 同じ時刻に、10~20分、続けていく内に、その問題行動は なくなったという、話がありました。

私も 母の寂しさを 和らげるのに、
夕食後の、2~3時間を 母の部屋で過ごすことにしました。夕食後の後片付けも 洗濯ものを畳むのも放って 母の元へ行きます。勿体無い時間だなぁ と何度も思いましたが・・・この時間は、「母への薬の時間」と割り切りました!

最初の頃は、何にもしないで、母にエールを送る積りで 母の傍に ただ座って居ました。混乱していた時には、不安一杯だったのでしょう、毎日 眠れないと言いましたので、母が寝付くまで 「続きのテレビが終るまで観ているね」などと 母の部屋で過ごしました。最近は よく寝ているようです。

母にとって 寂しくなるような 嫌な悪い話はしない。

嫌な話 例えば、母の知っている方が 亡くなった話や 家族の病気・手術 などは できる限り 母の耳に入れないようにします。

聞いてもすぐ忘れるから 良いだろうと思いますが、不安に思う話や 嫌な話は 不思議なことに 一度に記憶してしまいます! そして その話は 何時までたっても 記憶に留まるので 大騒ぎの原因になります 

その混乱を避けるために 家族中で 「嘘も方便」 口裏を合わせるのです。

奇跡

あかるく 優しく ゆっくり 穏やかに、母との時間を大切にし、母への関わり方を変え、夢中で過して三ヵ月半経った頃 、険しく無表情だった母の顔に 昔の笑顔が戻りました。

これを「100日めの奇跡」と 高林は表現してくれました。

記憶  心配り  外出  料理ができるようになり、徐々に徐々に、日常生活が戻ってきました。
煮物がおいしく炊けるように、"おだし"や調味料を使うようになったことに驚き、少しずつレパートリーが戻ってきて感動しました。 
 
母からの昔話は 何度でも、初めて聴いたふりをして、上手に相槌をうつように努力しています。が 何度も話す内に、私の顔色から「あ、何度も聞いているな」と見て取れるらしく、「何度も話していると思うけれど・・・」と 断って話し出すことも あります。

冗談

 「認知症になって、とても悪くなったら 娘のことも わからなくなってしまうらしいね」 と言うと、「あなたは何方さんでしたっけ?」と 母は真面目な顔をして 私の顔をのぞきこみ 冗談を言うのです。また、私は自分の失敗談を 大げさに ずっこけながら話すと ケラケラと笑ってくれます。

今もなお・・・

現在、「母への薬(黙って寄り添い)の時間」は 1,2時間と短くなりましたが 毎日必ず 現在も続けています。新聞を読んだり、私の好きな番組に 変えてもらうことも 出来るようになりました。 

混乱している時には とても嫌がった入浴でしたが、 今は、すんなりはいるようになりました。着替えが面倒になり、着たきりすずめに なりますので、風呂に入ったら すばやく脱いだもの一式を代えます。

この頃は 母が風呂を済ませ 私が入るときに「おやすみなさい」と 母の部屋を後にしています。

朝は朝ドラが 終る頃に 珈琲を沸かして ゴミの日、私の外出 などの話で 一日が始まります。

外出日の工夫

私の外出日には、出かける前20分は 一緒にお茶を飲む時間を とります。出かける私に 母は、「何かしておくこと無いかしら?」 と必ず 言いますので、夕食の おひたしや 簡単な煮物 など 材料の準備は常にしておき 一品を作ってもらいます。
今日は 冷凍小芋を 薄味で煮て欲しいと 頼んできました。楽しみです。

そして 出先からは 会場に到着したコール。 今、講演すんだコール。 近くの駅から帰るコール の三回、必ず電話をし 母の無事確認と、夕食前には 必ず帰宅することを伝えます。

夕暮れの早い冬は、5時過ぎの帰宅でも、母にはとっても遅い感じがするらしく ご機嫌が良くありませんので、帰宅直前にも 買い物で遅くなっていて ごめんね と電話をします。

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2007.6.2 一泊旅行

私は友人と有馬温泉に行く事になりました。母が認知症になってから 始めての「旅」です! 計画は春ごろからして居ますが、母には勿論内緒!そして当日も「今日は有馬温泉に行って 宴会をして 午前様になるかもしれない・・・先に寝ていてね」と出かけました。

母の昼食には昨晩、煮込んだ「カレーライス」。夜は 夫がデパ地下弁当を届けてくれる手筈・・・≪デパ地下弁当は、綺麗で量も適量・・・お土産が大好きな母は、とても喜びます≫

友人とのおしゃべりで すっかり母のことも忘れ・・・一度も電話をしないで、翌朝になりました!携帯電話があるので 何かあれば 夫から連絡があるだろうと・・・今回、母からきっぱりと心を離してみました。

午前7時過ぎに 夫に「私は 母が寝ている間に 出かけた ことにして欲しい」と 電話で頼みました。

そして 午後になって 今回母へのはじめての電話「お母さん・・・ごめんね 寝ている内に出かけてしまって・・・夕方 夕食には間に合うように帰るから 待っていてね・・・美味しいものを買ってあるからねぇ~~」母は「は~い 大丈夫よ 気をつけて帰ってくるのよ~~待っていますからね」と、機嫌よく電話に出てくれた!

二日目は友人たちと観劇をし、その話題で盛り上がりました。4年半ぶりの「命の洗濯」・・・帰宅したら 母との楽しい時間、夫への感謝の好きな料理を食べてもらって・・・また、母と楽しく向き合えるだろう!と爽やかな気持ちになりました。

二日間で感じたことは、母の時間の感覚が 随分衰えたようで、昨日と今日、娘が留守にしたことが判らないようだ・・・。

私は友人と有馬温泉に行く事になりました。計画は早くからして居ますが、母には勿論内緒!   

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メモをとる

最近で嬉しかったことは、外出から帰った私に、メモを見ながら、「明日 小学校に朝8時50分に集合して下さい、と町内会の人が言ってきた」と 伝言をしてくれたことです。
現在、母の記憶力は、信じられないくらい、ひくく落ちているので、これにはビックリでした。

覚えていてくれた!

ある日曜日には 私は 夜遅くまで 外出しました。いつもなら、昨日の私の行動など忘れているのですが、翌朝、「昨日は、あなたは 何処かへ出かけていたよね!」と 話しかけてくれまして とても嬉しかったです。

「忘れてしまうこと」を考えながら 接し暮していますので 「覚えていてくれた!」ことの喜びは とても大きいです。

「また 覚えてもらう・・・記憶してもらう」 そのためのエネルギーは ほとんど 無駄になるので 予定など 早くから 言わないようにしています。

今夜は 泊り客がありますが、母はとても気を遣いますので、まだ 来ることを言っていません。 
スリーA精神で関わるように実行してから4年。まだ 母の状態は 良くなっています。何処まで続く脳の改善、と毎日が楽しみです。

家族の協力

ここまで 母が落ち着いたことは 母と私のふたりきりの時間が持てたこと、また 私独りの力ではなく 「遠くに居る兄や妹からは 母へ 週に二度づつ 電話をかけてくれる協力」 「息子たち家族の協力」、 特に夫には 家事の疎かになった部分への手助けもあり とても感謝しています。

また、知人、友人達の 励ましや 介護を終えた方に 愚痴を聞いてもらうことも 大きな力です。

遊びに来た 母の大好きな8歳の曾孫には、大きいバーバは 「忘れる病気なので、同じことを聞いても 怒らないで 優しく 同じことを答えてね」と 言い聞かせましたら、とても優しく接していて おぼつかない足取りの時など、母の杖となり 支えてくれている 孫の姿はほほえましいです。
長男の入院手術などは 長期出張と母には言い 元気になってから 本当のことを話しました。

昨年辺りからは、私は好きなことも 出来るゆとりを もてるようになりました。

スリーAに出会わなかったら

認知症の病気そのものは治りませんので 油断すると悪い方に戻ります。スリーAの予防法を学ばなかったら、いまごろはどうなって いるのだろうか?と思う日々です。

今でも まだ介護保険を申請しないで、母は、毎日ほんとうに 明るく 穏やか に暮しています。

スリーAの成果は 予防教室だけではなく、在宅でも 関わり方を変えることで これだけ 良くなることを 報告させて頂きました。

最初の百日の辛抱、上手にコツを掴んで、応用していただきたいと願います。

ご参考になれば幸いです。 

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